孤島に潜む狼は何匹?前編~浅葱のお屋敷事件簿②~

羊が一匹。羊が二匹。
羊が三……びき。
ひ……つ、じ……が。
すーぴー、すーぴー。


浅葱は基本的に寝つきがいいタイプでございます。羊さんを数えても、十匹以上数えられたためしがございません。


衣笠(いがさ)のやつはどうでしょう。

ああ見えて神経質なところがありますので、数えだしたら逆に眠れなくなる体質かもしれませんね。今度、枕元で唱えてやりましょう。


お嬢様、あの孤島で起きた事件のことを思い出すと……寝つきが悪くなると仰っていましたね。私も、出来れば思い出したくはありません。

けれども、
あの場にいた者の責任として、
あの事件の当事者として、
今回は孤島で起きた悲劇、
その真相を解き明かさねばなりません。

お覚悟はよろしゅうございますか?
では、ご覧くださいませ。


***


「おお神よ、迷える子羊を救いたまえ」




浅葱でございます。

5月の陽気。
水面を滑るように進むフェリーの上、うみねこの鳴く声が愉快に聞こえます。先程、お嬢様はイルカさんが飛び跳ねるのを見たとか見てないとか、はしゃいでいらっしゃいましたが……疲れてしまわれたのか、船内で休憩なさっております。
汐風は爽やかに前髪を擽ります。
浅葱は甲板で一人で立ち、暖かい陽気を浴びておりました。気持ちいいですね。

これから行先は瀬戸内海の離れ小島である『犬吠島』。
お嬢様も私も、いぬぼえ、という名に聞き覚えがありませんでした。
あまり知られていない島ではございますが、なんでも島全域が私有地であり、大きなお屋敷が構えているだけの小さな島だということです。

大旦那さまのご友人である万城目氏の持ち物らしく、日頃の社会勉強にお疲れなお嬢様に大旦那さまがバカンスをプレゼントされたとか。

そのご旅行の付き添いとして浅葱と、そしてーー

「少し調べてみたんだが、やはり雲行きがおかしいぞ」と船内から一人出てきます。私と似た燕尾服を着ていますが、彼のは本邸用の少し違うデザインの物でございました。


私の友人であり、普段は本邸で勤めている使用人の衣笠でございます。


今回のお嬢様の警護、そして身の回りのお世話として浅葱と衣笠が命じられたのでした。
二人で何やら神妙な表情をして周りを見渡しています。お嬢様の警護のことでしょうか……。

「浅葱、やっぱりイルカはいないらしいぞ」

「あのね、お嬢様が見たと言ったからには確かにイルカはいるんだ。イルカがイルカなんて関係あるか(かんけイ、あルカ)」と私。

「イルカもしれない。ナイル河(イルカ、わ)にもイルカらな。瀬戸内にいても不思議ではナイ……ル」と衣笠。

「それはナイ……ル」浅葱はそう締めます。

くだらないですね。
まことにくだらないことしか言っておりませんでした。申し訳ございません。

あまりお屋敷から外に出ることのない我々でございますから、少しはしゃいでおります。まるで少年のようですが、この調子ではお嬢様はウンザリとしていたことでしょう。

「いぬぼえ島……だっけ? 今回の目的地のこと、衣笠は知っていたかい?」
「犬吠島ね。大旦那さまの友人の万城目氏が所有している私有地だということで、地図にも載ってないらしいからな。私も知らなかったよ」
「島を丸ごと持ってるって……万城目氏はどんな人なのかな」
「不動産関係で巨万の富を築いた昭和の巨人だって。大旦那さまとの交友があるというだけでも常人ではなかろうが、それにしても規格外な財力だよ」
「そりゃあ凄い」

甲板に立つ私達二人の視線の先には、反り立つ絶壁が臨み、その上には大きな屋敷が構える孤島がありました。犬吠島です。


「いやー絶景でしょう? お二人は客人か何かかな?」


後ろから声を掛けられました。
少し伸ばされた長髪を後ろで結び、無精髭を生やした男がおりました。釣り用のベストにあるポケットがたくさんあるものを着ていて、首には一眼レフのカメラを下げております。

「燕尾服を着ている……ってことは執事さん? 見たことはないから万城目さんとこの新人さん?」

「いえ、私達は……」と私が答えようとするが、衣笠がそれを遮った。

「それよりも、あなたは誰ですか?」衣笠は緊張感を滲ませて問いました。「このフェリーにはお嬢様と私達以外に客人が乗られているなんて聞いておりませんでしたので」

「ああそりゃあ忍び込んだのだから当たり前さ」と男はあっけらかんと答えました。

「それはどういうーー」
「僕は西尾。フリーのライターをやってる」
警戒していた私達を無視して、懐のポケットの一つから名刺を差し出しました。西尾という男は私達が受け取りそうにないのを見て、強引に燕尾服の内ポケットに突っ込むと「失礼」といって煙草に火をつける。

「僕は犬吠島について取材していてね。君達は何用で向かっているんだい?」

「旅行です」

「あんまりオススメしないよ。あそこは悪い噂がある」

「悪い噂?」
「浅葱。あんまり聞く耳を持つな」

「そんなに警戒しなくてもいいよ。ただ昔からの言い伝えがあって、狼に気をつけなければいけない場所なんだ」

「おおかみ?」

「うん、狼」

船は間もなく船着場に着きそうでした。
この角度から見ると、島の絶壁は淵が反っていて上から岩が垂れている。下からも岩が尖っているので、まるで犬が吠えているようだった。
もしくは、狼が大きな口を広げているようにも。

「おお……よ、迷えるこひ……を……いたまえ」小声で西尾は唱えておりました。

おお神よ、迷える子羊を救いたまえ。
なぜ彼は神に祈りを捧げているのでしょうか?
この時の私には、わかりませんでした。


***


浅葱は燕尾服を少し恨みました。
暑いのです。
そして砂浜に燕尾服は似合いません。
以前、歌劇団のメンバーがそんなことを言っていたのを不意に思い出しました。

「お嬢様、楽しそうですね」と含みを持たせて言う衣笠。
「それは良かった。ところで森見さんは執事だというのに随分と楽な服装ですね」と横にいる中年の男性に含みを持たせて言う浅葱。

「着替えを持ってこられなかったのですか?」

そうです。盲点でございました。
バカンスということを考えていなかった私達は燕尾服しか持ってこなかったのです。お屋敷の使用人としては正しいかもしれませんが……。

中年の男性は森見さんといって、万城目氏に仕えている執事でございます。一応ハウススチュワードということでしたが、当家のようにたくさんの使用人がいるわけではなく、万城目氏の使用人は執事の森見さんとメイドの佐藤さん、そしてシェフの伊坂さんの3名だそうです。

森見さんは凛々しいお髭を蓄えた紳士然とした方ではありましたが、服装はアロハシャツに短パン、そしてビーチサンダル。軽装でございます。

「使用人たるもの四六時中燕尾服を着なければなりませんから」
「もしもお嬢様が波にさらわれても着衣泳を心得ておりますので大丈夫でございます」

「君達はアホウですね」

全くその通りでございます。
場に合わせた服装に身を包むのが自然でしょう。まだ海に入るのは早い季節とはいっても、真昼の日差しは容赦なく我々を照らして燕尾服をいじめます。

楽しそうな声が砂浜から聞こえてきます。

「ルルウ様も楽しそうでございますので、よかった。彼女はあまり世間を知りませんから、同年代のお友達に飢えているのですよ」

ルルウ様というのは万城目氏の娘であり、丁度お嬢様と同い年ぐらいの女性です。お二人は楽しそうに遊ばれておりました。

お嬢様も年頃近い相手に気を許しているようでしたので、浅葱は微笑ましくその光景を見守っております。

「なぜ孤島に住まわれているのですか?」
浅葱はふと疑問に思ったことを尋ねました。
「せめてルルウ様だけでも本島に住まわされた方が色々と都合もいいでしょう」

「我が主人は愛娘であるルルウ様を溺愛しておられます。勿論、母君のエラリイ様も同じく愛情を注いでおられます。お手元に置いておきたいのでしょう。まあ、かように箱入りのままでは将来が不安なのも確かですね」

森見さんの言う通り、ルルウ様は少しおてんばが過ぎるところがありました。私達が犬吠島に着いたその時に、蛇の抜け殻を燕尾服や荷物に忍ばせてケタケタと笑っておりました。……まるで幼い頃のお嬢様でございます。

「ですから主人は外界から客人を招き入れて、少しでもルルウ様に交流されるようにしていらっしゃるのです。あなた方のお嬢様におこし頂いたのもルルウ様と同年代だからということでしたので」

その他にも現在、この島には客人が3名いるということでした。

「あの、西尾さんって人はご存知ですか?」

「む……彼奴をご存知なのですか?」
森見さんは険しい表情になります。

「私達が乗ってきたフェリーに忍び込んできたというのですが……彼は何者なのでしょう?」

「またですか」森見さんは深いため息を吐いて、心底困ったように言った。「彼は犬吠島の伝説について調べているようで、勝手に忍び込んでは主人に取材といってしつこく迫るのです」

主人にこのことを伝えねば、といそいそと森見さんは屋敷の方へ向かっていきました。ルルウ様のことは任せましたよ、と言い残されてしまい、浅葱も衣笠も場を離れるわけには行かない状況です。ジリジリと炎天下の日差しが燕尾服をいじめます。

「おや、こんなところでまた会いましたな」

森見さんがいなくなって間もなく、草むらからかき分けるように西尾さんが姿を現しました。……様子を伺っていたんじゃないかなというぐらいにタイミングが良かったです。

「……不法侵入は犯罪ですよ」
「ははは、なーにジャーナリズムの前では法なんてものは無力ですよ。それにしてもこんな良い天気の浜辺で、あなた達は燕尾服なんか着て……アホですか?」
「「ほっとけ!」」二人声が揃いました。

西尾さんはその場に腰を下ろし、煙草に火をつけます。長居する気でしょうか? 森見さんを呼んできてさっさと連行してもらいましょうか。

「この島には怪異伝説があるんだよ」

唐突にそんな話題を切り出してきました。
「かいい?」首を傾げる浅葱と、
「妖怪ってことですか?」眉根を寄せている衣笠。

「まあそれに近しいものだね。人狼だよ」
西尾さんはそう言いました。


人狼は狼男とも呼ばれる。
昼は人の姿をしているが、夜はその本性を現して、人を襲う。
人の姿をした狼。


「そのジンロウってやつが……この島にいる、ってことですか?」と浅葱は聞き覚えのない単語を繰り返します。
「そんな馬鹿な」と衣笠は冷笑っておりました。

「いるよ。犬吠島には昔、人狼が棲んでいたんだ」

西尾さんはそう言って伝説について語りました。


ひと昔前、この島がまだ犬吠島ではなく大嚙(おおがみ)島と呼ばれていた頃。
本島の人間を攫って血肉を食み、人を騙す化け物が棲みついていたといいます。
けれども被害に嘆いた人々は助けを求め、犬を従えた流浪の剣士によって人狼は退治されました。大怪我を負い、犬が吠えて威嚇されたことで、昼の時間には姿を潜ませなければならなくなりました。
時代が進み、大嚙島はいつしか犬吠島と呼ばれるようになって、この島には屋敷が建てられました。数人の人間が暮らすようになったのです。
ある時、本島からの客人が集まったとき。
その中にあの人狼が潜んでいました。
人狼は夜な夜な人間を一人ずつ襲い、最終的には全員を喰らい尽くしました。

「現に50年前、ここでは7人の人間が亡くなっている」

そう西尾さんは島に残っているおどろおどろしい歴史について語りました。

「そんなの嘘よ。だって狼なんて見たことないもの」気づくとルルウ様が背後にいて、お嬢様と共に西尾さんの話を聞いていたようです。

「また君はそうやって……」西尾さんは困った表情を浮かべます。
「そんなことより西尾さんも一緒に遊びましょ。お化けなんかを調べるより、わたくしと遊ぶほうが有意義よ」
「君の親が良く思わないから」
「不法侵入しておいてよく言うわね」
不敵にそう押し切ろうとするルルウ様には敵わないらしく、苦笑を浮かべて私達に「まあ君達も気をつけることだね」と言ってそそくさと退散する西尾さん。

「行っちゃうの? 逃げなくてもいいのに、つまんない」
ルルウ様は残念そうに言う。

「うひゃあ!」

浅葱は燕尾服の中に違和感を覚えて飛び上がりました。ヌメヌメした感触……これは?

「うふふ、なまこよ」ルルウ様は笑ってそう言いました。

お嬢様は苦笑いを浮かべていらっしゃいましたね。
……出来れば、止めていただきたかったのですが。


***


その夜、予報が外れて外は荒れ模様でした。
突然の嵐に驚いておりますと、浅葱と衣笠は居間に呼ばれて夕食の準備に借り出されました。まあお嬢様はともかく、使用人の私達は招待客ではありません。働かざるもの食うべからず、です。
ランチョンマットを敷いて、カトラリーをセット、そしてグラスやお皿を所定の位置に置きます。後はシェフの料理が運ばれてくるのみ。
衣笠は引き続きディナーの準備をして、私はお食事の準備の手伝いをするためにキッチンへと向かいました。
「よろしくお願いします!」
「…………」
シェフの伊坂さんは無言のまま料理の皿を並べて行きます。持っていけ、ということでしょう。無言のまま作業を続ける伊坂さんを見ながら、とりあえずお食事を持って行きます。何か返事ぐらいしてくれてもいいのに……そう不満に思いながらも美味しそうなお料理の数々を早くお届けせねばと急ぎます。

ディナーの始まりは夜の7時頃。

執事の森見さんもこの時は礼服に身を包み、執事然とした姿。お屋敷の物と比べて茶色のチェック柄であり、カジュアルな印象です。

メイドの佐藤さんは大きなメガネと全身紺色の服装に白色のエプロンを掛けているという感じで、メイド服というよりは家政婦に近しいものでした。

使用人は机に座らず、主人の背後に立ちます。

長い机の上座にはこの孤島屋敷の主人である万城目氏が座っておられます。その脇に座るのが奥方様のエラリイ様、そして愛娘のルルウ様。少し離れた席には客人達が並んで座っています。丁度お嬢様の座る位置の反対側に3人が並んでいました。

赤森さんは画家。
青坂さんは彫刻家。
紫音さんは音楽家。

彼らは3人とも尋常ならざる才能を持つ方で、万城目氏がパトロンとして活動しているということでした。その活動について報告をするついでに招待されているということでした。

それぞれ滞在中に作品を作っているらしく、昼間に姿が見えなかったのはそのためらしいと衣笠から教えられました。
赤森さんは大広間に飾るための大きな絵画を書いているということでした。よく見ると作業服はペンキによってマーブル模様のように汚れていて、乾いていないのか触るところ触るところに色がついてしまっています。……あれを洗うのは骨が折れそうです。
青坂さんは島の壁面に彫刻をするという大規模な作品ということでした。格好としては芸術家というより工事現場の作業員といった様相で、ワイヤーハーネスが装着されています。
紫音さんは作曲中らしく屋敷に併設している礼拝堂のオルガンを使っているということです。日がな一日篭りっきりで、髪の毛はボサボサになったままです。精神的に疲労しているような様子。作曲というのは気疲れするものなのでしょう。

けれども、会食はとても静かに進んでいきました。
メインディッシュには当家のソムリエが選んだワインを持参したので振る舞ったのだが、万城目氏は「ふむ、美味い」と呟くように言っただけでした。

「静かすぎやしないか?」
浅葱は沈黙に耐えかねて、隣に立っていた衣笠に尋ねました。
「まあこの嵐だ。沈黙が余計に重くなっても仕方がないさ」
ガラス窓を雨粒が打ち付ける音。風が唸りを上げています。この暴風雨ではロクに外に出られないでしょう。

「いやー困った困った」
静寂を破るようにひとりの男が部屋に這入ってきました。
「西尾……また懲りずに来たか」
万城目氏は憎々しげにそう言いました。

「この嵐です。外にいるのは少々辛い……ちょっとタオルを借りました」先程まで外にいたのでしょう、西尾さんはずぶ濡れでした。

「森見、この男をすぐに本島へ送り返すようにうに手配しなさい」と語調を落ち着かせて万城目氏は伝えました。
「は、はい。すぐに」森見さんは電話をしに出て行きます。

「しかし絶海の孤島に嵐、というのは事件の前触れとしては出来すぎていると思いませんか?」
「何が言いたい?」
「今宵、この屋敷には人狼がいるんじゃないかと疑っているのですよ。僕は」
「人狼? なんだ馬鹿馬鹿しい」
「信じていないんですか? 僕は忠告しにきたのですよ。きっと、このことを思い出して後悔します。いや……後悔すればいい」
西尾さんは断言して、タオルを床に捨てる。
「それまで精々僕は身を潜めるとしますよ」

そして、食堂から出て行きました。
なんとも言えない奇妙な静けさに包まれて、私達は後に残されたのです。

「主人様! 電話が通じません! 電話回線は勿論、インターネット回線も切断されております」
そう叫びながら森見さんは戻ってきました。

「……ということは次の船が来るまでの四日間、ここは文字通り絶海の孤島というわけだ」と衣笠は言いました。
「クローズドサークル、か。嫌な予感がする」浅葱は探偵の予感なるものが確かな働いておりました。

そして、その嫌な予感は的中するのでした。


***


翌朝、悲鳴によって目が覚めました。
これはメイドの佐藤さんの声。
「どうしました!」
と、私が駆け付けます。
そこには無惨な姿で殺されていた、
西尾さんの姿がありました。

「人狼の被害者」

その言葉がまず最初に浮かびました。

西尾さんは客間の一室に伏せるようにして倒れていました。その手は右手が伸ばされていて頭上に続きます。その先には赤い文字が。


『WHO IS THE wolf』誰が狼か。


これは何者かよって書かれたのでしょうか。
西尾さんの指先は文字と逆向きからWの左下に差されています。ひとさじ指には血液が付いていて、何かを書いたようですが……。

筆記体のようなwolfという言葉が気になります。

「何事ですの?」
ルルウ様は静止する佐藤さんの手を抜けて部屋に這入ってきました。そして言葉を失います。「そんな……嘘よ」

浅葱は他の人が入らないように指示を出し、お嬢様には決して見せないようにせねばと衣笠に頼みました。



しばらくして、談話室に島にいる全員が集まりました。メンバーは浅葱と衣笠、そしてお嬢様。万城目氏とエラリイ様、ルルウ様。客人の赤森氏、青坂氏、紫音氏。そして万城目氏の使用人である森見執事とメイドの佐藤さん、シェフの伊坂さんです。
全員で12名。

「それで、あの男の死因は?」万城目氏がそう口火を切りました。

「どうやら腹部の傷があやしいですね」写真などで現場を確認し終わってから、死体をベッドの上に運ぶ役割を浅葱と森見さんが引き受けたのですが、そのついでに検分も浅葱が引き受けました。「専門家がいないのでなんとも言えないですが、脇に転がっていたナイフが使われたということで間違いないでしょう」浅葱は素人なりの検分結果を発表しました。

「あの文字はなんだ? イタズラとしてはタチが悪い」万城目氏はそう言います。

「西尾さんの血で書かれているのですから、イタズラではないでしょう。誰かが、書いたのですよ。誰が狼か、と問うているのです」衣笠はそう答えました。

「人狼は誰か、なんて……まるでゲームみたいね」紫音さんはそう口にして、気分を悪くしているようでした。

「人狼ゲームでしょう? 正体隠匿系の議論ゲーム」赤森さんはそういったゲームに精通しているらしく、人狼ゲームのルールについて教えてくださいました。

村人(人間)の中に人狼が紛れ込んでいますが、村人には誰が人狼なのか判りません。
人狼は夜毎に村人を襲います。
村人は繰り返される人狼の殺戮から生き残らなければなりません。
その為に、昼間は全員で論議して誰が疑わしいかを決めます。
その疑わしい人間を処刑します。
その次の朝、新しい被害者が出たのであれば人狼はまだ生きているということです。
もしも、誰も被害者が出ずに平和な村となった場合、処刑した人間が人狼だったということです。

「人間側の勝ちはわかったよ。じゃあ、どうすれば人狼の勝ちなの?」青坂さんは気怠げにそう尋ねてきます。

人狼陣営が村人陣営と同数になるか、過半数が人狼になるまで。

つまり、数で上回れば勝ちなのです。
一人なら二人。二人なら四人。三人なら六人。

「本当は人間側にも役職なんかあって、もうちょい複雑なんだけれどね」と赤森さんは締めます。

ともかくあと三日間はこの屋敷から出られないということですから、西尾さんを殺めた人間が潜んだまま過ごさないといけないのです。それがどんなに恐ろしいことか。

「……狼を許さない」ルルウ様は静かに震えていました。


***


浅葱は夜中、一人目が覚めました。
二日目の夜はひどく長く感じました。

バカンスにやってきたといっても遊ぶような気持ちにもなれませんし、外は荒れ模様、屋敷の中には人狼が紛れている。自室にこもることが一番でしょう。

浅葱と衣笠の部屋はお嬢様の隣の部屋で、もし万が一の時は飛んで行けるように交代で起きていました。
けれども浅葱が目を覚ますと、部屋には衣笠がおりません。トイレでしょうか?
浅葱は不思議に思い、部屋の外に出てみます。

静かな長い廊下を歩きます。

ギィ、ギィ、ギィ。
軋む床の音が心臓に悪いです。

ゴトンっ!

浅葱は後ろを振り返ります。

……何も、ありません。

「おい」

「ひいっ!」
たまらず浅葱は悲鳴をあげます。すぐに口を塞がれました。私の口を塞いだ人物が口の前で人差し指を立てます。

衣笠でした。

「何してるんだ?」
「衣笠こそ! 勝手に外に出たら心配するじゃないか!」
「トイレだよ」
「なら……いいんだけどさあ……」

疲れました。
二人でさっさと帰って眠ることにしました。
「次は浅葱が見張る番だぞ」
「いいよ。どうせ目が覚めちゃったし」


***


三日目の朝。
新しい被害者が出てしまいました。

「ど、どうして……」

広場で膝をつく万城目氏。
その脇にはエラリイ様もいらっしゃいます。

二人の目の前には無惨な姿になったルルウ様のお姿がありました。


二人目の犠牲者、ルルウ様。


首を吊って亡くなっておられました。
部屋のシャンデリアでロープを固定しており、ルルウ様の足は地面から50センチほど離れたまま静止していました。ロープに繋がった先には窓の格子あります。
「とにかく下ろして差し上げましょう」
私と衣笠は慎重にロープの固定を外し、ルルウ様を地面に横たえて差し上げました。ロープの締め痕が首筋に残っておりましたが、それ以外は安らかな表情で眠っているかのようです。

「……浅葱、本格的に犯人は人狼ゲームをやるつもりなのか」
「かもしれない。……衣笠、君はなんとしてもお嬢様をお守りしてくれ」
「浅葱、君はどうするつもりだい?」
「私は……」

この謎に、立ち向かわなければなりません。
それがお屋敷探偵としての使命です!

「わかった。お嬢様は私に任せておけ」
「ありがとう、衣笠。それでは……いざゆかん!」


***


ルルウ様の死因は首吊りによるものではないでしょう。その安らかな表情を見る限り、苦しみながら首を吊ったというよりは、亡くなった後に犯人の手によって吊られたという様子でした。

では、何故首を吊ったのか?

その労力を考えるとあまり利点を感じません。首吊りにすることで自殺を仄めかすには連続的過ぎて、あまりにもお粗末です。西尾さんの時の手口と較べても連続性を感じません。つまり、どういうことかーー

「これは偽装によって作られた状況です」

浅葱は談話室に集まった11人の前でそう言いました。
3日目の夜になり、また全員が集まる機会が設けられました。この場でなんとしても真相を解明せねばなりません。

「ルルウ様の首筋についた縄の跡を調べると二本の筋がありました。横から見た時、一つは首を斜めに跡があり、二つ目はほぼ横に跡がついていました。つまり、ルルウ様は二度首を絞められたということです」

「二度?」と紫音さん。

「はい。一度目で殺害され、偽装のために二度目の跡がついたということです。つまり、ルルウ様は自殺ではないということが判ります」

「犯人がいるってことね」と青坂さん。

「もう一つ証拠があります。ルルウ様が天井から吊るされているということは勿論足が浮いています。自殺の場合、足元には足場となった台などがあるはずです。それがなかったということです」

「ルルウは誰に殺されたんだ?」万城目氏は憔悴した様子でした。

浅葱は日中に調べてきたことを披露します。

「まず西尾さんが殺害された一件から考えました。彼は客間の一室で刃物に刺されて殺害されています。そして手元には『WHO IS THE wolf』の血文字がありました。疑問に思ったのは『wolf』という単語だけが小文字であったこと。字体もその単語だけが筆記体のように書き殴られた文字でした」

西尾さんの指には血が付いていて、文字に伸びている。つまり『wolf』という単語だけは西尾さんが遺したダイイングメッセージだということでしょう。

「そのメッセージに対して、犯人は文章になるように付け加えた。なぜでしょう? それは、その単語によって犯人が示されるということではないでしょうか?」

wolfという単語にだけ焦点がいかないように、犯人はわざと人狼ゲームを意識させるような文章を創作したのではないか。

「wolfによって誰が示されているのか、それはーー」

一同は息を呑みます。緊張の瞬間です。


「ーーわかりません」


「わかりません、ってそんなのはないぞ!」と衣笠はツッコみます。自分でもわかっていますが、しかし謎が解けなかったのです。

申し訳ございません。お嬢様、不甲斐ない浅葱をお叱りくださいませ。

何も進展しなかった現状に落胆する一同は、しばらく黙ったまま談話室におりましたが、やがて各々の部屋に戻っていきました。
「まあ、そういう時もあるだろうよ」
衣笠は私の肩を叩いて、お嬢様を部屋に送ってくれました。

浅葱は暖炉の前に座って、一人考えておりました。


ルルウ様はきっと「wolf」の謎が解ったに違いない。だからこそ犯人に殺されてしまった。では、いったい誰が西尾さんとルルウ様をーー。
いや、そもそも考えている前提が違うのかもしれない。


「この島には狼が何匹いるんだろう?」


浅葱は一つの可能性を思いつきました。


続く
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