視野

おや、お嬢様。
ご機嫌麗しゅうございます、隈川でございます。

何をギョッとされているのですか。
ああ、この体勢でございますか。
左様でございます。私は今、ご覧の通り床にへばりついているのでございます。

あ、もちろんへばりつく前に徹底的に床を磨いたうえでマットを敷いておりますのでご安心くださいませ。
気になるのはそこではない?
なぜそんなことをしているのか、でございますか。

実は私ときどき絵を描くのですが、構図を決めるときにアイレベルという視点の高さを決める必要があるのです。それを床スレスレにするとどのような景色が見えるのか実際に試していたのです。

日常的に過ごしている場所でも視点を変えると全く見たことのない世界に感じるものですね。

やはり何事も他面的に様々な角度で物事を捉えるのは大切でございますね。

虫さんの世界はこんな感じなのでしょうかね。見聞が広まります。

…え?
見聞を広める前に他人の目をもう少し気にしなさい??

なるほど、確かに。

隈川

行きたい道、行きたくない道

お嬢様、本日のお出かけにおともいたします隈川でございます。
しかし、お外もすっかり暖かくなりましたね。馬車ではなく徒歩もたまには悪くないと思いませんか。

ところでお嬢様、本日はどのルートで
目的地まで行きましょう。

最近、私思うのです。
道には行きたい道と行きたくない道があると。

いえ、啓蒙じみたことを申したいわけではなく、本当にただの道の話でございます。

目的地への距離としてはどこで渡っても構わないはずなのに何故か待ってまで同じ信号箇所を渡ってしまったり、他の道と同じ傾斜や障害物のはずなのに歩くだけで疲れた感覚になるルートでしたり。

共感が得られるかはわからないのですが、私的にはよくあるのです。

もしかすると私という人間はその道を選ぶように始めから定められているのかも、なんて考えたり。

なので、そういうときにわざといつもと違う道を歩いてみたりするだけで、小さな運命に逆らっている感じがするのです。

なんでしたら買う予定のなかったケーキを買ってしまったり、とか逆らいまくりでございますね。

…え?くどくど御託ばかり並べてないでいいからいつもの道を?

お嬢様がそう仰るならば喜んで!
運命には逆らってもお嬢様には逆らいませんとも!私もちょうどこの道を歩きたいと思っていたのです!

あ、タンポポ咲いてますよ。

隈川

クッキー

ご機嫌麗しゅうございます、お嬢様。
隈川でございます。

お嬢様はクッキーについてどのように思われるでしょうか。

はい、さようでございます。
焼き菓子のです。

美味しい
いい香り
かわいい
サクサク

咄嗟に思いつくのは非常にシンプルでポジティブなイメージかと存じます。私はお菓子全般を好んでいるのでもちろんクッキーに対しても好感的な印象を受けます。

なかには甘い物がお苦手でクッキーに対してあまり良い印象を抱かないという方ももちろんいらっしゃるかとは存じますが、憎しみや怒りを持っている方というのは極めて珍しいのではないでしょうか(完全にいないとは思いません)

 

さて、では
ここでこのクッキーをどなたでも結構ですので人間に置き換えてみるとどうでしょう。

ポジティブなイメージもネガティブなイメージも倍増したのではないでしょうか。

なぜクッキーに対してはシンプルな感情でいられるのに、人間には複雑な感情が生まれるのでしょうか。

これは私が思うに『影響力』なのではないかと。

自分に対してクッキーと人間では及ぼす影響の大きさが異なるから抱く感情も違う。

逆に申し上げますと、自分に対して影響を及ぼさないものに対して人は寛容でいられるのです。

例えば、どんなに素晴らしい人徳者であっても、人間である限りさまざまな要因が重なって普段ならば言いたくないような言葉を選んでしまう場面がきっとあります。

もし、そういうタイミングの方と遭遇して聞きたくない言葉を聞いてしまったときにはあまり影響を受けず、お相手をクッキーだと思うと良いかもしれません。

こんな日誌を認めながらお腹のなる午前2時です。

隈川

日誌

ご機嫌麗しゅうございます、お嬢様。
隈川でございます。

何年も前の話ではあるのですが、セカンドスチュワードの伊織に【英国執事〜貴族をささえる執事の素顔〜】という本を借りました。

この本から学んだ当時の英国での貴族の方々の生活や使用人たちの実情は私の心を深く魅了しました。

滅私奉公の心を持ち、忠義を尽くす彼らにもそれぞれの人生や個性があったのだなぁ、と想像して勇気をもらったものです。

実話を中心に少し捻くれたエピソードやユーモラスな内容も多くございまして、そこも愉快でした。

中でも印象に残っているのは、若きフットマンが仲間の使用人たちに囃し立てられ「仮装パーティ」に身分を隠して参加して、自らの主人である憧れの奥様と一曲踊る、というお話。

同じ使用人からするとなんとも畏れ多いゆき過ぎた行為だと軽蔑しつつも、少しロマンチックに思います。

つい最近、記憶の中のこのお話を取っ掛かりに歌詞を書いた楽曲を執事歌劇団にてお披露目いたしました。

もちろん本のお話のままというわけではなく、僭越ながら私なりに構築させていただいた物語仕立ての楽曲。

もしお聴きいただく機会がございましたら、様々なご想像を膨らませて歌詞もお読みくださいましたら幸いです。

それではまた。

隈川

学び

ご機嫌麗しゅうございます、お嬢様。
隈川でございます。

改めまして本年もよろしくお願いいたします。

2022年。
個人的な今年の目標はいくつかあるのですが、その中のひとつが【学びを疎かにしない】というものでございます。

学びと申しますと勉学をご連想されるかもしれま…
ああ!お嬢様、そのように怪訝なお顔をなさらないでくださいませ!
何も学校の宿題や社会勉強だけが学びではありません。

私がここで申しあげる学びとは、身の回りにあるあらゆるものから得られる、経験、疑問、気づき、興味。その全てのことです。

例えば、失敗してしまったとき。
そこには羞恥心や悲しみ、もしかすると理不尽に対しての怒りなどがあるかと存じます。ですが、それ以上にその失敗を経てしか得ることのできない気づきや疑問があり、その疑問を解消する為に悩み、調べ、考えたならば、その先には学びの機会が潜んでいるのです。

それは『同じ失敗を繰り返さない為に』という単純なものではなく、そもそもの失敗の定義、固定観念や常識を見つめ直すきっかけになるかもしれません。

朝の光の中に。
毎日歩く道の端に。
友人の表情に。
貴方がお召しの服の生地に。
過去のトラウマに。
魅力を感じなかった音楽に。

改めて視点を変え、疑問を持ち、考え、調べれば、そこかしこに学びが宿っているのです。

私は今年、それらを大切にしたいと思っております。

なんとなく過ごしてしまえば、あっという間に失われてゆく時間の中で、より多くのことを学んでゆければと…あれ?お嬢様?

…眠っていらっしゃる。
これもまた自己満足の語りは控えねばならぬという学び、でしょうか。
なるほど。

隈川

寮長金澤

ご機嫌麗しゅうございます、お嬢様。
隈川でございます。

永らく不在でした使用人寮の寮長にグルームオブチェインバーの金澤が就任したそうです。おめでとうございます!

使用人寮に身を置く私にとってこれは大ニュースでございます。

なにせ紅茶やお菓子に長けた金澤ですから、もう少し世の中が落ち着いたら寮長主催のアフタヌーンティーパーティなとが開かれるかもしれませんし、そこで金澤特製のロイヤルミルクティーや焼き菓子などがいただけるかもしれません。

しかし…
ひとつ気になることが。
「金澤が怒っているところは誰もみたことがない」という噂がございます。
仏の金澤。

普段穏やかな方ほど怒らせると怖いと申しますし、金澤を怒らせてしまったらどうなってしまうのでしょう…

門限を破らないよう気をつけたいと思います。

隈川

ご機嫌麗しゅうございます、お嬢様。
隈川でございます。

私、最近特に何もないところで転ぶことが増えました。疲労で足が上がっていないのでしょうか。

七転び八起きなどという言葉がございますが、一回転んだだけでも周りからの冷ややかな視線や肉体的損傷で泣きたくなってしまいます。私は我慢強いので泣きませんが、百合野ならきっと泣いていたはずです。

使用人たるもの立っていること、歩くことも仕事の一つ。歩き方を見直さなくてはなりませんかね。

隈川